善光寺平北部を一望する城跡

大倉城

484m

正面登り口 2024年3月8日

長野市 大倉城城趾 (3月)|善光寺平北部を一望する城跡
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志賀高原などの長野の奥地へと入る道路と、妙高や海へと進む道路の分岐近くにある山城跡。
古くから交通の要所だった土地には、鎌倉時代に建てられた城跡が残る。

歩いたコース

登り
正面登り口
下り
牢場口
最高標高
484m
登山口標高
370m
距離
0.90km
累積標高
137m
22m
平均斜度
10.23度
時季
2024年3月
天気
曇り
日程
日帰り
歩いた時間
登り0:11/下り0:24/合計0:35
平均した歩行速度
1.53km/h

この日のペース

  1. 正面登り口
  2. 本郭(0:11)
  3. 牢場口(0:24)

特に目立った城跡ではありませんが、国道に看板が出ていることもあり気になっていました。
長野県は起伏の激しい土地柄だからか、見晴らしが良さそうなところには小規模な城跡が多く、歴史を知ると合わせて楽しめると思います。

登り口から短時間で登ることができ、長野市の史跡ということもあってか歩きやすく整備されていました。
眺めも楽しめました。

尾根に築かれた大倉城跡

長野市の北側、豊野にある大倉城。
南側にある長沼本城の詰め城として、川中島の戦いの時代には島津忠直が治めていたという。

鎌倉時代に小笠原氏によって築城され、戦国時代には上杉方として島津氏、明治になると民有地になり、現在では当時に作られた曲輪などの地形が残っている。
国道から100ほどの高低差で、階段などの歩きやすい歩道が整備されているため散歩コースとしても良い。

登山

小さな城だけど、歴史や謂れはあるみたい

正面登り口から

大倉城への登りは、国道18号から飯綱町へと続く県道459号線から。
国道の信号から100mほどで左側に大倉城を示す看板が建てられている。
駐車場などはないため、道路の空いているスペースに車を停めて大倉城へ向かう。

大倉城を指す看板を目にしても、すぐにはどこに城跡があり、どこを通って行くのか戸惑うような景色。
小さな果樹畑の上に流れる用水路に沿って歩道が続いている。
農業用に作られている歩道のように見え、城跡訪問のために作られたとは思えない。

登山

矢印があるからこっちなのだろうけど、土地勘が無いと不安な気もする

国道を走る車の音が大きく聞こえ、斜面の藪の中では野鳥が多く鳴いているのが聞こえる。
なかなかに賑やかななか、入口から数分で城跡へと向かう階段に差し掛かった。

階段の入口には注意喚起の看板が建てられて、藪の中へ入って行きそうな雰囲気も、正しい歩道だと見て分かる。
背の高い竹が茂り、20mほど登ったところで階段の角度がキツくなった。

右、左へと折れて登ると、用水路が流れる平坦な場所に出た。
祠が置かれ、その後ろに大倉城についての説明が書かれている。
見上げると木々が薄く空が見える。
もう少しで城跡への斜面を登り切るような印象だった。

登山

あそこに見えるので終わりだよね?

祠から右へ1分ほど登ると、左へ曲がって階段が続いていく。
木々の合間から見える目の前の台形のような高台が、きっと本丸に当たる場所だろうと想像が膨らむ。
ただここが厳しいところで、登っていくほどに階段の高さが大きくなっていく。
勾配がきつくなったからなのか?と振り返ってみても、そうは見えない。
足を高く上げて階段を踏んでいく。

登山

なんか急に階段が大変になったのだけど・・・

2分か3分かの登り、平坦な場所に着いた。
右側には見晴らしの良さそうな土の膨らみと、左側には高く盛り上げられた斜面がある。
建っている標識を見ると、一の堀という。
5m以上はありそうな高さで、見るからに戦中に登るのは難しそうだった。

登山

この上が本丸的なところかな?

一の堀の階段を登ると、平坦な尾根に出た。
長細く奥が深い地形は、いかにも櫓や曲輪が作られていたと想像ができた。
振り返ると下に見える街や地形が一望できそうだった。

尾根の上で、まず目につくのが三の郭、その周りには頭が赤く塗られた杭が刺さっている。

登山

これが建物の跡ってことか?

杭を避けながら奥へと歩いていくと二の郭。
三の郭に比べると少しだけ敷地が小さくなっているように見える。

少し登ると堀を急激に下りる。

登山

のんきに歩いていたら躓いて落ちそうだ・・・

大倉城主郭

登り口から11分ほどで到着した主郭、東西に長く平坦に開けている。
傍らに祠と案内板、豊野町や須坂市方向が開けて見晴らしが良くなっており、南からやってくる軍勢を見るのに都合が良かったのだろう。

登山

詰め城とはいえ上杉方だから、南側の様子が見えることは大事だよね

主郭跡に建っている看板によると、島津氏の詰城として川中島の戦いに使用したあとは廃城となっていたが、織田家がこのあたりを治めたころに一揆が起こり、その際に修築して籠城したという。
明治になると民有地になったばかりか、廃城になったために石垣などが資材として堰や用水に利用されたという、浪漫と生活感が入り交じった様子を知ることができた。

下山

城跡の東側にある正面登り口から主郭まできたところで、搦め手だった牢場口へも下りられることを知った。
長い距離ではないため、案内に沿って牢場口へ下りてみることに。

登山

搦め手っていうと正面の反対側みたいな感じで、正面よりも狭くて大軍で攻めることができないから、だいたい少数精鋭が充てられて激戦になる。
というイメージ。

搦め手というだけあって、主郭からいきなり急斜面を下りる難コース。
数センチほどの雪が積もっていることもあって、土が軟らかく滑りやすい。
張られているロープも気休めにしか思えない。

10mほど下りると、ひと呼吸置くように傾斜は緩くなり、またすぐに急斜面が続く。
そして下りたら登り返す。
これが堀なのか自然の地形なのか分からず、ただ大変な道を歩いてしまったと思い始めていた。

登山

あとで地形図を見たら、出口に近づくほど標高が上がっていて驚いた

登ったり下りたりを繰り返しながら、25分近く歩いたところで舗装された道路が見えた。
狭く農作業用道路いった広さ。
さらに下には県道が見えて車の音が聞こえる。

日影になるせいか、うっすらと積もったままの雪を踏んでいく。
牢場口を指す看板を見つけ、農作業用道路に出た。

持って行った水の量

  • 水900ml

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