茶臼山

26m

幸村と家康が陣取った大坂の陣の要所

2023年1月9日

天王寺公園 茶臼山 (1月)|大坂の陣の要所
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1615年の大坂の陣、その激戦地となった天王寺区。
その中心が茶臼山だった。
標高26m、大阪五低山に数えられ、こんもりとした丘のような存在感は激戦の面影もない。

大坂の陣の要所であった天王寺区の茶臼山を紹介しています。標高26mで、大阪五低山に数えられるこの山は、豊臣方の真田幸村と徳川家康の戦いの舞台となった歴史的な場所です。ページには、天王寺公園を起点とし、わずかな高低差を登る短いルートが記載されており、大坂の陣についての興味深い背景情報が含まれています​​。

キャラクター

茶臼山とその歴史的重要性を体現したキャラクターを描きました。このキャラクターは、都市内の小さな丘の静けさと、侍の歴史に浸透した場所の威厳と回復力を反映した、賢く穏やかな姿です。現代のハイキング服と伝統的な侍の鎧のブレンドを身にまとい、茶臼山の控えめな高さと歴史的深さを象徴する小高い丘の上に立っています。彼らの瞑想的な視線は、過去と現在をつなぐ現代の都市景観を見渡し、大坂の陣の歴史を描いた巻物または本を持っていることで、歴史と自然の守護者としての役割を強調しています。

歩いたコース

登り
天王寺公園
下り
天王寺公園
最高標高
26m
登山口標高
19m
距離
0.13km
累積標高
5m
5m
時季
2023年1月
天気
晴れ
日程
日帰り
歩行ペース
登り0:01/下り0:01/合計0:02

この日のペース

  1. 天王寺公園
  2. 茶臼山山頂(0:01)
  3. 天王寺公園(0:02)

大坂の陣は日本史上でも大事なできごとで、戦国史ファンとしては低山とはいえ登らなければならないと思ってました。
とはいえ、ここに来る機会があるとも想像することもなかったので、この近くまで来ることができただけでも感慨深いものがありました。

大阪五低山に数えられるくらいなので、登山と呼べるほどの高低差も行程の気にしさもありませんが、紛れもなく山でした。

使った登山道具

持って行った水の量

大坂の陣の中心地だった茶臼山

大阪府の山といえば南葛城山や金剛山といった奈良県境の山々を思い浮かべるだろう。
大阪湾に近いエリアより内陸を思い浮かべる。
ただ海抜0mに近い低山が多くあるのも大阪の特徴で、五低山という数え方もあるという。

大阪府天王寺区、多くの自社や名所があり、北側には大坂城からも建っている。
1600年代の初期には大阪の陣の中心地になったエリア。
現在の大坂城からは5キロほど南下すると天王寺動物園などがある公園があり、そのなかに茶臼山が存在している。

大阪夏の陣では幸村が本陣を構えて徳川勢へと向かったことでも知られているエリア。
26mという標高は周囲の高低差からも山というより丘といったほうがイメージに合う。
周囲の大きな建物や、広い公園の中では存在感も薄く、興味を持たなければ立ち寄ることもないと思えるほど。
登山とはいえないほどの短距離をあえて登った。

東側の登山口

天王寺動物園方面から広い道路を歩き、堀越神社の前に着いた。
神社の西側、社殿の背後に茶臼山が盛り上がっている。
小高く木々が茂って見るからに丘。

道路から茶臼山のほうへ入ってコンビニの前を通り、真っ直ぐに進むと駐車場の先に公園があった。
あえていうなら、そこが登山口だった。

茶臼山へ登る

公園のなかに入ると、正面に茶臼山と書かれた石碑が目に入る。
公園らしく歩いている人や、ベンチで佇んでいる人がいる中で、ハトなどの身近な鳥に混じって大きなサギが歩き回っていたのが印象的だった。

石碑のまえに立つと、茶臼山の山頂に向かって階段が続く。
すぐそこに見える階段の終わりは、そこが山頂部という雰囲気だった。

茶臼山山頂

登山口にある石碑から歩くこと1分。
息が切れる前に山頂に登ることができた。
高低差は約10m、距離は数十メートルほどの行程だった。

茂っている木々の間から、天王寺動物園が見える。
山頂の中心部に近づくと葵の紋と六連銭の旗印が刻まれた石柱。
それを囲むように、大坂の陣のことが書かれた看板が建てられていた。

大坂の陣は、真田氏の名前を世に知らしめたできごとのひとつ。
のちの時代での創作もあったにしても、長野県にルーツを持つ武将が名前を残したこの場所は感慨深い。
ただ山としては眺望があるわけでも、歩き回れる場所があるわけでもないところが街の中の低山らしいところ。

下山も登りとほぼ同じ1分ほどで完了した。

登山

ちなみに、茶臼山北側の一心寺存牟堂で登頂証明を100円で買えます

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