戸石城

825m

真田氏ゆかりの山城を歩く

金剛寺 2024年1月5日

戸石城 (1月)|真田氏ゆかりの山城を歩く
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上田市街と旧真田町の間に、街を隔てるように延びる尾根。
戦国時代、戸石城と呼ばれる山城があったという東太郎山から延びる尾根で、街から見上げても間近な里山という変哲もない地形に見える。
米山城から砥石城、本城、枡形城と複数の城郭が並ぶ構造をしており、もともと真田氏の外城として建てられたという。
旧真田町も上田市街も眺められる立地を思うと、領地を守るためにも要所なのだろう。

戸石城といえば村上義清が武田信玄を破ったことでも知名度があり、むしろ真田氏は村上氏を攻略したことで城を奪ったような印象がある。
城としては規模が小さく、山としても手軽な行程であっても、長野の有名武将が関わった跡は見ておきたいところだった。

歩いたコース

登り
金剛寺
下り
金剛寺峠
最高標高
825m
登山口標高
598m
距離
2.35km
累積標高
303m
224m
平均斜度
12.7度
時季
2024年1月
天気
晴れ
日程
日帰り
歩行ペース
登り0:32/下り0:18/合計0:50
平均の歩行速度
2.81km/h

この日のペース

  1. 登山口
  2. 米山城(0:14)
  3. 戸石城(0:23)
  4. 本城(0:29)
  5. 枡形城(0:32)
  6. 金剛寺峠(0:43)
  7. 林道終点(0:50)

戸石城は武田信玄が村上義清に敗れた「戸石崩れ」というできごとで知りました。
信玄が生涯で2度しか敗戦していない2度が村上氏との戦いということで、郷土の武将が活躍したできごととして印象深く思っていました。

記録的な暖かさと雪の少なさで、登りやすい気候が続いていることもあり、記憶が蘇るのか、新しく感じるところがあるのかと思って向かいました。
20年ほど前に一度登っているはずですがまったく記憶もほとんど残っておらず、新鮮さばかりのなかで戦国史に思いを馳せながら城を巡るのは楽しかったです。

使った登山道具

持って行った水の量

真田氏と村上氏の戸石城

長野県上田市にあった戸石城は戦国時代に名を馳せた真田氏が、東太郎山の南側の尾根に造ったという山城。
この山城の名を知ったのは、武田信玄が村上義清に敗れた戸石崩れという出来事から。
信玄の生涯で2度しかない敗戦がこの地だったことは誇らしくもある。

登山

義清街道っていう看板もあったし、なんだかんだ村上氏のこと好きな人は多そう

戸石城は名の知られた城ではないものの、戸石崩れのあとは再び真田氏がこの城を治め、関ヶ原では東軍についた真田信幸が入城して上田城攻めに加わっていたことなど、日本史の端に登場する。
複数の城郭が尾根伝いに建てられたという特徴的な縄張りで、西側の上田市街を一望する米山城、地蔵峠や群馬県側を見ることができる枡形城など、この道を歩くことでそれぞれの城の役割を感じることができる。

米山城へ続く金剛寺

現在では伊勢山からの登山口に櫓が建てられ、登山口はいくつかのコースを歩くことができる。
その中から今回は金剛寺地区から米山城へと続くコースから。
上田菅平ICから狭い道の集落を通り、登山口近くのスペースに車を停めた。
戸石城に近づくと幟旗が目立つ。
道路脇に建っていた案内板は小さいわりに見やすく目立ち、登山口へ迷うことなく行けるように感じた。

準備を整えて登り坂へと向かって行く。
木々の落ちた斜面を横切って、九十九折りに登山道が続く。
みるみるうちに集落が低く見え、かわりに米山城があったピークが近づいてくる。
枝の隙間からは徐々に上田市街が見えてくる。

米山城

登山口から14分ほど、米山城に到着した。
急斜面の上に広く平らなスペースがあるのは、いかにも構造物があったり人が溜まりやすく地形を変えていたのだと感じた。

もともと小宮山氏が建てた城で、「こみやまじょう」がいつしか「こめやまじょう」に変わったという。
標高は735mで登山口からは140mに満たないほど。
上田市街の中心地が一望でき、青木村や塩田平まで見えるのは、物見台としての役割も十分だったと想像した。

米山城から戸石城へ向かうには、いったん斜面を下りる。
傾斜の緩い姫道と、急勾配の武者道が整備されている。

何気なく武者道を選んで下りたものの、細かな砂のような地面と落ち葉が滑る。
斜面の枝の隙間からは戸石城跡が近く見える。
尻もちを突きそうな斜面に気を取られながら、2・3分ほどで斜面を下り終えた。

登山

けっこうヤバかった

登山

ココに出るのか

米山城と戸石城の鞍部は、伊勢山からの登山道との合流地点だった。
ここから急勾配を直登するように登山道が続いて行く。
米山城から下りた武者道のような足元だと大変だと思っていたところ、2分ほどで急斜面は階段に変わった。

階段になったことで、砂利や落ち葉の急斜面で足を滑らせることは無くなったものの、なかなかに長く先が思いやられる。
踏面が広く蹴上げが低かったところは自分の歩幅に合っているようで、他の登山道で苦しむような歩きづらさは感じなかったものの、やはり登りは大変で先を見ると見るからに大変そうにしている人も見えた。

4・5分登ったところで、丸太が置かれた階段が終わり、巨石を彫って作った階段があった。
ここを登れば戸石城だろうと思えるような最後のクライマックス感で、張り切って巨石の階段を登ったところ、左に折れた先にまだ階段が続いていた。
傍らに大理石が埋められて「宝くじ助成事業」で整備したと書いてあった。

登山

そういえば昔はロープが架けてあっただけだった気がする

まだ続く階段も、すぐそこに青空が見える。
米山城からは10分とかからずに戸石城に到着した。

戸石城

尾根の南側に位置する戸石城は、この山城と同名でありながら本城ではないところが印象に残る。
米山城と同じように西側に方角に眺望があり、南側にも眺望がある。
ここから南側の眺めは「関東の富士見100景」のひとつに数えられ、この日は霞んで多くは見えなかったものの、方角的に富士山も見えるのだと想像ができた。
この眺望があれば佐久方面からの敵の様子を知ることも簡単だったろう。

戸石城の北側には9mもの堀切があり、本城へと登山道が続く。
なだらかに下る尾根道が続き、山城とはいえ穏やかな雰囲気。
尾根道は大軍で攻められても通ることができる人数が限られ、守りやすかったのだろうと想像が膨らむ。

2・3分で広く平坦な場所に着いた。
大手口と書かれた看板が建てられ、見るとここから旧真田町方向へ続く道が本来の正面だったという。
上田市街の方向など人通りや交通の便の良いところに正面を造らなかったところは戦国の山城らしく思えた。

登山

唐突に視界が広がるからどこへ行って良いか分からない

ただ落ち葉だらけで道を見失いやすく、進む方向は分かっていても無駄にヤブのなかへ足を入れそうになる。
周りを注意して見渡すと先を示す看板が建っており、そこへ向かうことで踏み跡を見つけることができた。

登山

きっと大手口の案内板を見なければ、道を見失うことも無かった

本城

大手口から数メートルの段差を登ると、広く平らな場所に出た。
そこを過ぎると段差があり、また広く平らな場所に変わる。
段々畑のような地形で、この場所で多くの味方兵士を溜めて、尾根を通って隊列が細くなった敵を迎え撃つことができるように造られているのだろう。

戸石城からは6分ほどで本城に到着した。

この広場と段差の繰り返しは尾根を掘削して造ったようで、最上部が本郭となっており、この一画には館も建っていたという。
ベンチも多く置かれており、陽当たりが良く、戦国とは逆に弁当でも広げたくなるような長閑な場所だった。

登山

おやつ持ってこなかった・・・

本城を過ぎると緩やかに登りながら枡形城へと続く。
西側の斜面には笹が茂り看板によると矢竹といい、矢の材料に使われたものだという。
自然に生えた以外にも栽培されたものもあり、戸石城では植えられたものの名残だと言われているだと書かれていた。

枡形城

矢竹のヤブを見てすぐに短い急斜面に変わった。
30mほどの高さを一度に登るような地形で、登った先は狭いピークになっていた。
ここが今回の最高地点で枡形城。
本城からは3分ほど、登山口からは32分ほどだった。

眺めの良かった米山城からは少し角度を変えた上田市街が見え、西側には旧真田町が間近によく見える。
真田本城が見えるところなどは、周りの城と連携を取るのに適した場所なのだろう。

登山

これだけ見えれば戦略的にも重要な感じがする

少し北側へ進むと木々が開け、一段と眺望が良くなる。
雪のついた烏帽子岳と湯の丸山、遠くには四阿山。
この眺めの良さは本城だけではなく、岩櫃への連絡にも適していそうだと想像が膨らんだ。

下山

戸石城からの下山は枡形城よりさらに北の金剛寺峠方面へ。
さらに尾根を山頂へ向かっていくようで、標高は峠に向かって徐々に下げていく。

枡形城からすぐは角度キツく段差の大きな下りになり、ロープが架けられているものの気を遣うような高さ。
下りきるとなだらかになって歩きやすい尾根道が続く。
戸石城側の攻めづらさを思うと、この尾根の歩きやすさは攻められる心配は無いのだろうかと思うほど。

5分ほど下りると登り返しがあり、ピークを過ぎて再び下っていく。
金剛寺峠と枡形城との標高差は35mほど。
やはり東太郎山へ続く尾根のため、下るといっても長く下り続けるような地形にはなっていなかった。

登山

看板を見つけた

金剛寺峠では矢印の案内板が建てられ、金剛寺地区や戸石城のほか、根古屋城、松代と書かれていた。
ここから松代へ歩けないことも無いだろうが、矢印を示すあたりにこの先は玄人しか立ち入らない尾根なのだろう。
見れば踏み跡が登っていくのが見える。
それを見ただけにして、峠を少し下りると峠の地蔵尊が置かれていた。

広く歩きやすい林道のような下りを歩いていく。
舗装の道路まで17分ほど。
道幅が狭く、とても車が入ってくるには苦労しそうな場所ではあったものの、車が停められそうな空き地もあり、こちら側からも登ることができそうだった。
街へ下りていく途中、福沢出丸という看板を目にした。
攻められると心配しなくても、こちら側もしっかりと守られていたようだ。

登山

いろいろ考えて歩いたけれど、結局どう攻めたり守ったりしたのか想像がつかなかった

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