春日山神社から本丸へ登る
ゴールデンウィークの春日山。
駅からの道中は特に変わった様子もなく、春日山城へと近づくと徐々に人や車が増えてくる。
春日山城趾の入口から数百メートルほどの埋蔵センターまでくると駐車場に入っていく車が多く、どうやら城趾近くの駐車場は満車のため、ここからバスで城趾入口まで送迎しているようだった。
清水のある大手道の入口に来るとどこにも車を停められるようなところはなく、道々にいるガードマンも他の駐車場へと誘導していたため、結局近いところには停めることもできなかった。
連休を舐めてた
少し時間を置いて大手道の横にある駐車場に車を停めることができた。
ここから城趾の入り口に建つ上杉謙信の像の下まで歩く。
同じように歩いて上っていくひともいる。
上杉謙信が立つ城趾入口までくると、たくさんの人たちで混雑していた。
案内所や土産物屋が並ぶ横を通り、春日山神社の前に出た。
ここから本丸へと続く遊歩道が整備されている。
神社の境内の前には人だかりができ、その中に上杉謙信の姿をした人を見つけた。
どうやら上越市のおもてなし武将隊のイベントがあったらしく、ちょうどそれが終わって写真を撮っていたところだった。
おもてなし武将隊も見たかった
本丸への遊歩道はここから始まる。
木段が整備された木々の道。
暑い陽射しも背の高い木々が遮って風がちょうど良い。
2分ほどで左側に千貫門阯があった。
周囲には土塁と土手のような盛り上がりがあり、建造物は残っていなくても千貫門の周りに地形が作られていたことが伺える。
千貫門を過ぎると、上杉少弼入道宅阯があった。
特に案内板が見当たらず、上杉少弼入道が誰なのかという説明も無かったように見えた。
弾正少弼というと謙信かなと思うのだけど・・入道ってことだし
上杉少弼入道宅阯を過ぎてすぐに塹壕阯があり、その反対側にある土の盛り上がりの上には搦手と書かれた石柱が建っていた。
大手道が城の南側から登ってくることを思うと、ここが反対側にあたる裏口的な場所のかと想像した。
搦手の向かい側にある虎口からは本丸阯がある山頂部がよく見えた。
虎口とは城に入る玄関的な場所という説明があり、そう思うと上杉少弼入道宅が間近にあるのも理解しやすい。
特に正面に当たる大手道から最も遠い搦手に上杉少弼入道宅があるというのも守備を考えれば理に適っているようにも思える。
虎口から一段高く登り、山頂部から続く尾根の上に乗る。
広く平坦な尾根の上、重臣として知られている直江氏の屋敷阯が広がる。
本丸を見上げ搦手を間近に見下ろす場所と思うと、直江氏が詰める屋敷として相応しい位置だった。
キビタキがいるじゃないか!
直江山城守宅を過ぎ、毘沙門堂を見上げる場所まで登ってきた。
以前に来た秋には猛禽類が飛んでいる様子が多く見られたが、今回は小さな野鳥が多いように感じる。
毘沙門堂の上には護摩堂があり、そこから見上げる一段高い場所に本丸阯があった。
木々はまだらで、この尾根の一番高い場所に登らなくても街を一望できる。
本丸を右に見ながら、正面を回り込むようにして一段高い坂を登ると、さらに景色が開けた。
陽が当たると暑い
春日山 山頂
春日山神社から13分ほどで山頂部の本丸阯に着いた。
山頂部の南半分は天守阯になっているものの、こちらは地震の影響で立ち入り禁止になっていた。
妙高山や火打山が眺められる天守阯へ入ることができないのは残念だった。
天守からの眺めが良いのに残念
山頂標のある本丸阯は、上越を一望し、長野県との境にある関田山脈を見渡せた。
下山
春日山からの下山は大手道へ。
本丸の西側へ下りると井戸丸阯。
平坦な場所に大きな穴が開き、覗き込むと水面が見えた。
山頂に近い位置に井戸のような水たまりがあるのは、とても不思議な様子だった。
サクッと下りる
井戸丸からの階段を下りると上杉景勝の屋敷跡があるものの、今回は素通りして下りていく。
景勝屋敷の下には柿崎景家の屋敷跡があり、平坦でひときわ広く眺望の良い場所だった。
直江氏の屋敷は搦手近く、柿崎氏は正面の大手道にあるあたりは、攻められたときに勇猛な柿崎氏が守ったり、もしくは攻めるときには早く下山できる大手道を使うようなイメージを持った。
柿崎氏の屋敷からは木々に囲まれた狭い道を下り、南三の丸と銅像、大手道の分岐点に出た。
どこを通っても戻ることはできるものの、今回は整備された道で大手道を戻ろうと思い、南三の丸は見ずに舗装された林道を下った。